熊本北聖書キリスト教会

熊本北聖書キリスト教会

2017年1月29日日曜日

『慰めの神』村上 正道 先生 特別賛美 Migiwa

2017年1月29日 第5主日礼拝
礼拝説教:村上 正道 先生(湘南のぞみキリスト教会 牧師)
聖書箇所:Ⅱコリント人への手紙1章3〜5節
説教主題:『慰めの神』
招詞:Ⅱコリント人への手紙1章4節
神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。
こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、
どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。
特別賛美:Migiwaさん



2017年1月28日土曜日

第5主日礼拝のお知らせ

2017年1月29日 第5主日礼拝
礼拝説教:村上 正道 先生(湘南のぞみキリスト教会 牧師)
聖書箇所:Ⅱコリント人への手紙1章3〜5節
説教主題:『慰めの神』
招詞:Ⅱコリント人への手紙1章4節
神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。
こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、
どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。
特別賛美:Migiwaさん

教会学校
聖書のお話:『サムソン』
聖書箇所:士師記16章4~31節
暗唱聖句:ピリピ4章13節

私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。

2017年1月24日火曜日

今日の青年会

毎週火曜の青年会。

今日も無事に開催できました!


いつもお祈りありがとうございます。




今日は『ラディカル』の第4章。
「神の偉大な方法」でした。


たびたびこの著者が指摘していることですが、
私たちは本当に、自分勝手に聖書を読む傾向にあります。

ある箇所は、自分以外の誰かについて語られていると思い、
また別の箇所は、自分のためにこそ書かれている!と受け取る。

第4章では、特に、世界宣教についてイエスが語られたことの受け取り方について多く割かれていました。

私たちは、世界宣教に出かけていく者は、
特別な召しを受けた、自分以外の人と考えがちですが
そうではない、私たち福音を受け取った者は例外なく全員、
世界宣教に招かれています。

忠実に、誠実に聖書を読めばはっきりと分かるはずですが、
無意識に、反射的に、「そうはいっても流石に私にはそのような召しはない」と
はじめから耳を貸さないのが、現実ではないでしょうか。

確かに、今置かれている場での働きはあります。
自分の家族、友人、知人、職場の人。
自分の手の届くところにキリストの福音を広げるのをなおざりにしていながら、
どことも知らないアジアやアフリカなど、キリストの福音と縁のなさそうなところに行けばいい
というのも問題だと思います。

身近な人にこそ伝えるべく、現在遣わされているのに、
それすらせずに、遠くの見知らぬ土地でキリストの福音を伝えるなんて、本末転倒です。


とすれば、今日の学びはどこに落とし所があるのか。

「世界宣教」と聞いてすぐに彷彿とするイメージなど、
ある一定の固定された形式にとらわれるのではなく、
聖書に一貫して語られている、神様の視点を常に持つということ。

つまり、すべては神から始まり、神の栄光をあらわすために存在しているという、
万物の目的を見据えて、私たちも神の栄光をあらわすべく創造され、
今も生かされ、そのために福音を伝えるという意識を取り戻すということです。

福音を伝え、神の栄光をあらわすことが、
私たちの本来の生き方で、
本当の意味で、喜びと、充足感とに満ちた歩みなのでしょう。

神様にから祝福を受け、恵みによって生かされ、神様の栄光をあらわす生き方。
創造の目的にかなった歩みをして、満たされないわけがないのです。


さて、この、本来の生き方、神に栄光を帰すという生き方の実践が、
世界宣教であるというわけですが、
私たちはどれだけ真摯にこのメッセージを受け取っているのか、と問われています。

また、聖書のメッセージは「神は私たちを愛している」というだけの、
いわば片手落ちの内容にして、自己中心的に理解していないか自問させられます。

神が、ご自身の栄光をあらわされるために、
罪に落ちた私たちにキリストを送り、十字架につけられ、
神との関係を回復するようにされたということ。

そして、本来の創造の目的に再び生きれるようにされたということを思いたいものです。
神の栄光をあらわす、という私たちの存在理由をです。


どのような立場であれ、状況であれ、
神様の栄光をあらわすのが御心ですから、
そのように用いられるように、今置かれた場で委ね祈り続けたいと思います。


2017年1月21日土曜日

第4主日礼拝のお知らせ

2017年1月22日 第4主日礼拝
礼拝説教:置郁子 ワーカー(日本キリスト教海外医療協力会)
聖書箇所:ヨハネの福音書15章12-17節
説教主題:『愛の結実』
招詞:ヨハネの福音書15章12節
わたしがあなたがたを愛したように、
あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
教会学校
聖書のお話:『ギデオン』
聖書箇所:士師記6~7章
暗唱聖句:士師記6章12節

勇士よ。主があなたといっしょにおられる。

2017年1月17日火曜日

今日の青年会

毎週火曜の青年会。

今日も無事に開催できました!

いつもお祈りありがとうございます。



今日は『ラディカル』の第3章。


「自分の力が尽きた時に始まる」でした。


前々回に学んでいたO.ハレスビーの『祈り』にあったように、
無力であることこそが、祈りだと改めて思わされます。

私たちは、自分たちの力を過大評価する一方で、
神様、聖霊の働きをどこか他人事のようにしているのではないでしょうか。

何をするにしても、
あれこれとできること、しなければならないこと、など
目標設定の段階から、神様をぬきにして考えてしまう癖があるように思うのです。

もちろん、私たちに与えられている賜物や時間やお金、立場や影響力、
すべてをなかったことにするわけではありません。

向かう方向に、神様を見ているか。
何かをする前に、神様を見上げているか。
今できそうなことだけをするのではなく、神様の働きを期待しているか。

こういうことだと思うんです。


私たちの手元にはさまざまなプランがあります。

教会生活においても、仕事においても、家庭においても、
様々な場面で、私たちはあぁしようこぅしようとプランがあるわけです。

それがありすぎて、神様に働いていただく余白がないのではないかと思うくらいです。


聖書を見れば、信仰の先人たちは、
例外なく神様が必要だと言わざるをえない状況に置かれていました。

無力のどん底に打ちのめされたのち、
主に求めるほかなく、呼び求め、そして答えを得ました。

いつも、そのようなプロセスを経て、最後には神様が褒め称えられてきました。



主の祈りにあるように、
主の御名があがめられるように、
私たちの今の持ち場で主が働かれるように祈りたいものです。

神様は、私たちの求める前に、一番必要なものを備えておられ、
今にも与えようと待っておられます。

私たちを励まし、導き、選ぶ道を示してくださる、聖霊を与えてくださるという約束を、
改めて噛み締めました。



今日もありがとうございます。




2017年1月15日日曜日

『クリスチャンは神の相続人である』中澤 啓介 先生

2017年1月15日 第3主日礼拝
礼拝説教:中澤 啓介 先生(大野キリスト教会 宣教牧師)
聖書箇所:ローマ人への手紙8章14~17節
説教主題:『クリスチャンは神の相続人である』
招詞:ローマ人への手紙8章17節
もし子供であるなら、相続人でもあります。
私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、
私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。

2017年1月14日土曜日

第3主日礼拝のお知らせ

2017年1月15日 第3主日礼拝
礼拝説教:中澤 啓介 先生(大野キリスト教会 宣教牧師)
聖書箇所:ローマ人への手紙8章14~17節
説教主題:『クリスチャンは神の相続人である』
招詞:ローマ人への手紙8章17節
もし子供であるなら、相続人でもあります。
私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、
私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。
 教会学校
聖書のお話:『パリサイ人と取税人の祈り』
聖書箇所:ルカの福音書18章9~14節
暗唱聖句:ルカの福音書18章14節

だれでも自分を高くする者は低くされ、
自分を低くする者は高くされるからです。

2017年1月10日火曜日

今日の青年会

毎週火曜の青年会。

今日も無事に開催できました!

いつもお祈りありがとうございます。


今日は『ラディカル』の第2章。
「御言葉への強い飢え渇き」でした。


著者の経験から始まるのですが、
弾圧・迫害が日常的な
僕らの住んでいるところとは完全に異質な
ものすごい世界があるのだな、といつも思わされます。

礼拝が公にできないような国が、今、この現実にある中で、
熱心に御言葉に渇き神を求める信仰者の集い。

一方で、エアコン完備、座り心地のいい椅子に、
充実した音楽プログラム、ピカピカの聖餐式用の器具など、
御言葉の周辺が充実した教会生活を疑いもせずに送っている私たち。

果たしてどれほど熱心に御言葉を慕い求めているか?
足したり引いたりせずに、
そのままの神の言葉を知ろうとしているか?

強く問われます。


神は愛に深く、慈愛に満ちた方であることは疑いありませんが、
聖書は、それだけを述べてはいません。

裁き主であり、妬む神であり、罪を憎まれる神でもあるわけです。

そして、その神の性質を、私たちは条件反射的に、薄めてしまおうとする癖があるのではないでしょうか。


わかりやすいイメージに神を閉じ込め、
自分にフィットする神さまだけを味わおうとしていないか。

これまで聞いた聖書の話をすべて理解した気になって、
これ以上は別にいい、と蓋を閉じてしまっていないか。



…思うところはたくさんありますが、
痛いところの核心をあまりについてくるので、
かなり気持ちが重くなること請け合いの章でした。


生ぬるい優しい言葉だけを聖書は語りません。
あくまでもリアリスティックな霊的な事実をつきつけてきます。

イエスが「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、
天におられるわたしの父のみこころを行うものが入るのです。…」
という言葉も、よくよく味わえば、厳しいではないですか。

そのような気づきが多くある章です。


福音を、もっと正しく、神の視点で理解したい。
もっと渇き、御言葉をしたい求めたい。

…と思わされます。

2017年1月8日日曜日

『摂理の信仰』豊世 武士 先生

2017年1月8日 第2主日礼拝
礼拝説教:豊世 武士 先生(熊本東聖書キリスト教会 牧師)
聖書箇所:ルツ記 1章1~18節
説教主題:『摂理の信仰』
招詞:ルツ記 1章16b節
あなたの行かれる所へ私も行き、
あなたの住まれる所に私も住みます。
あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。






2017年1月7日土曜日

第2主日礼拝のお知らせ

2017年1月8日 第2主日礼拝
礼拝説教:豊世 武士 先生(熊本東聖書キリスト教会 牧師)
聖書箇所:ルツ記 1章1~18節
説教主題:『摂理の信仰』
招詞:ルツ記 1章16b節
あなたの行かれる所へ私も行き、
あなたの住まれる所に私も住みます。
あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。

教会学校
聖書のお話:『主の祈り』
聖書箇所:ルカの福音書11章5~13節
暗唱聖句:ルカの福音書11章9節
求めなさい。そうすれば与えられます。
捜しなさい。そうすれば見つかります。
たたきなさい。そうすれば開かれます。

2017年1月3日火曜日

今日の青年会

毎週火曜の青年会。

今日も無事に開催できました!

いつもお祈りありがとうございます。


今日は先週から始まった『ラディカル』第1章の後半。

私たちが今属している社会、文化は
福音と正反対の価値観に溢れていて、
私たちはそのことにあまり意識的ではないこと。

それゆえに、ぼんやりと何かを願うとき、
何かを求めるとき、人生を設計するとき、
気づけば福音的でない結果になることが多々あります。

また、聖書とは世界観・価値観がまったく異なるため、
少しでも自分の都合と折り合いがつかない箇所と出会ったとき、
メッセージで耳の痛いことを言われたとき、
私たちは「自分なり」に聖書(神のことば)を薄めて受け取ります。

このような危険が溢れていることを、改めて味わい直しました。

キリストがもし、この時代に肉体をもって
目の前に現れたとしたらどのように応答するか。
どのような反応をするか。考えたことはありますか?

肉体を持っているがゆえに、パリサイ人のように
自分が描いていたイメージと違うために
キリストに猛反発するのではないか。

結局のところ、
自分が理想とするイメージと反する何かと触れたとき、
私たちは拒絶するわけで、
それが神のことばであっても例外ではないということなのです。
それが、罪的な私たちの姿ではないでしょうか。


もちろん、時代も文化も違う旧約・新約の時代の形式を、
今の私たしたちにそのまま適用とすると無理が生じてしまうこともあるでしょう。
(全焼のいけにえを捧げたり、割礼を施したり、いろいろあります…)

だからこそ、「真理はあなたがたを自由にする」と語られた、
御霊を受けなければ、迷うわけです。

文化も社会も、刻一刻変化している中に私たちは生きているわけで、
その瞬間瞬間、判断しなければいけません。

そのよりどころはなんなのか。
それが聖霊である、ということ。
祈り続け、答えをいただこう、ということです。

みことばを薄めずに、
そのまま受け取るために、祈りたいものです。


『ラディカル』の問いかけは、本当に身にしみます。
この文化に浸りきった私たちに、本当の意味で福音的に生きないか?という誘いは、
かなり革新的で、強烈です。


…..どのような思いも、
神さまより優先することなく、
主の前にへりくだり、心が砕かれるよう、祈り続けていきます。

2017年1月1日日曜日

『来て飲みなさい』豊世 武士 先生

2017年1月1日 第1主日礼拝
礼拝説教:豊世 武士 先生(熊本東聖書キリスト教会 牧師)
聖書箇所:詩篇2篇1~12節
説教主題:『来て飲みなさい』
招詞:詩篇2篇3節
その人は、水路のそばに植わった木のようだ。
時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。