熊本北聖書キリスト教会

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2016年10月11日火曜日

今日の青年会

2016年10月11日(火)

毎週火曜日の聖研、今日も守られたことに感謝いたします。

ティモシー・ケラー、キャシー・ケラー共著の『結婚の意味』をもとに
結婚について学び分かち合いのひと時を持つことができました。


本日のテーマは「結婚の本質」でした。


病めるときも、健やかなるときも
愛をもって、生涯
支えあう事を誓いますか?

・・と、結婚式では誓約を求められますが、
あまりに耳にし過ぎて、お約束、になっていないでしょうか。

・・・・・・・

結婚は、現代では「婚姻届」という紙一枚を不備なく記入し
役所に届ければ成立します。

そしてその紙、
婚姻届一枚に意味を感じないという人は増えています。
確かにその通り、「愛があれば」紙切れなんて手続き以上でも以下でもない。

では、なぜ結婚をする必要があるのでしょうか。
いや、「結婚」とはそもそもなんでしょうか。


聖書が教える結婚の本質は、
契約、献身、将来の愛の約束であると、ケラー氏は教えます。

契約というのは、人と人とが交わす契約ではなく、
神との契約です。

結婚式の時に、上記に挙げた誓約を、キリスト教式では行いますね。
これは、集まった人に誓うのでも、
結婚相手に誓うのでも、牧師先生に誓うのではありません。
まず第一に神様に誓うこと、なのです。
公の場で誓う以前に、一人の人が、神様に誓うのです。

今私たちが身を置いている文化では、
どうしても「誓約」やら「神様」というものが希薄で、
お芝居程度のものにしか感じられないのですが、
本来、結婚はいのちをかけて、神様に誓うものなのです。

また、結婚の本質にある献身とは、
イエスさまが十字架で示された愛の実践です。

私たちは感情こそが愛だと定義し、
その感情を土台とした行動が愛だと思い込んでいますが、
それはとても危うい土台です。
天気のように、瞬間瞬間変わってしまうわけですから。

愛は、いかなる状況においても、どんな気分でも、
どんな経済状況でも、どんな健康状態でも、
捧げる意志において愛ある行動をとることだと、
パウロは教えています。

気分が落ち込んでイライラし、相手のことを愛せないと思った時にこそ、
「病める時も愛します」と誓ったことを行動に移す時です。

その実践ができるよう、常に神さまに祈り求めたい、そう思う学びでした。

愛ある行動を。

それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる。
                      エペソ人への手紙5章31節


今日はボーダーで揃いました!

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