毎週火曜の夜、
今週も変わらず青年会が守られました。
先週に引き続き、
今日は『結婚の意味』の第4章「結婚の使命」後半。
結婚の本質とは、霊的な友情である、というところです。
さらっと「結婚=友情」と定義されているわけですが、
簡単に飲み込めますか?
結婚は、友情だ、と。
..というより、そもそも友情ってなんだ?
と逆に疑問がふつふつと出てますますピントが合わなくなるのではないでしょうか。
少し、深掘りします。
・・・
あくまでも聖書に忠実に、
結婚というものを見つめれば、
まぎれもなく霊的な友情にたどり着くというのが、ティモシー・ケラー氏の立場。
友情の本質が、同じ何かに憧れ、
同じ目的地に向かおうとする共通の意志であるとするなら、
結婚においては一体何が、二人の目指すところなのか・・・。
聖書には、キリストにあって生まれ変わった者は
キリストに似た姿に変えられていくという明確なゴールが示されています。
しみも、しわも、傷もない聖い姿に変えられていく...と。
これが、福音の中心的な約束であり、
クリスチャンに与えられている明確な目的地なのですが、
この共通の憧れにおいて、霊的な友情が成立する、というわけなのです。
霊的な意味での友情こそが、
聖書が示す神ご自身が制定された結婚だというのは、
お互いが、神がお造りになった完璧な姿、
しみもしわも傷もない、最高に素晴らしい姿に
キリストを通して変えられていくことことを共通の目標とする、ということ。
私たちは、「古い人」も
「新しい人」も同時に身につけながら暮らしています。
素晴らしい個性を光らせていることもあれば、
目も当てられないような醜さを晒すこともあります。
けれども私たちは
本来輝いているはずの真の姿に変えられるようにと導かれています。
そして福音によって変えられていくことそれ自体を喜べる相手こそ、霊的な友です。
...この、霊的な友情をこそ
結婚の土台に据えない限りは、
結局のところ長くはもたないというわけです。
霊的な友情を、夫婦関係の結び目とする...。
非常に革新的で衝撃的な内容だと、思います。
結婚というのは、
私たち一人一人が神さまによって作り変えていかれるプロセスにおいて、
互いに助け合うために、神ご自身によって定められたものです。
だから聖書において結婚は、
いっときの恋愛感情の延長や、
経済的・社会的に都合が良いからとか、
人生設計において有利だからという理由でするものではないのです。
ともに、神さまに造りかえられていく真の姿に喜びを見出せる、
霊的な友情をもっている、というのが大事なんですね。
......というような
なかなか味わい深い内容でしたが、
そうかー、なるほどなぁ、とうなづくことばかりでした。
結婚している者はますますその深さを味わい、
結婚に向けて歩んでいる者は、
どういう視点で相手と出会っていくか、
色々と考えさせられました。
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