2016年9月20日(火)
毎週火曜日の聖研、今日も守られたことに感謝いたします。
ティモシー・ケラー、キャシー・ケラー共著の『結婚の意味』をもとに
今日も結婚について学び分かち合いのひと時を持つことができました。
本日のテーマは「結婚の秘密」です。
結婚をした時、人生の墓場だとか、悲観的な言葉を男性にかける風潮、
未だにありますよね。
今日の社会は結婚に対して非常に悲観的です。
熟年離婚が話題になり、
パートナーはいるけれども結婚をしない人もたくさんおられます。
絶対結婚したほうがいいという方もいますが、
別に結婚はしなくても良い、一人でいるほうが身軽だという考えもあります。
また、理想を追い求めすぎて、疲れてしまって諦めてしまう場合もしばしば。
結婚は神が制定したものだと教える聖書は
結婚についてなんと教えてくれているでしょうか?
聖書の創世記第2章から早くも結婚について語られ始めています。
エバが神様によってつくられたのは、アダムと結婚をするためでした。
結婚は私たちのためにつくられ、
男と女とは、結婚するために分けられているとも言えるのです。
結婚の起源は神にあります。
明確な祝福の目的があり、
私たちを本当の意味で人格的に成長させるためにつくられました。
ところがほとんど聖書に耳を傾けない私たちは、
あまりにも結婚のネガティブなイメージに触れすぎて、
また、結婚というものがどういうものか示してくれるモデルがなさすぎて、
結婚に期待のかけらすら持てなくなっています。
結婚してもどうせ離婚するかもしれないし、
結婚がそのまま幸せになれるとは限らない。
むしろ痛みや苦労の方が多いだろうし、
それなら気の合う恋人と同棲していればそれで十分。
...など、ネガティブな結婚観が飛び交っているのが今の社会かと思います。
悲観的なってしまうのも無理はありませんが、
ほとんどの人は神さまが控えておられる宝物を受け取りそこねている、と
聖書は明確に語っているようにも思えるのです。
実にもったいない話です。
理想を追い求めすぎて疲れた方は、一度神さまにすべてあずけてみませんか?
結婚をパウロはエペソ5章で「この奥義は偉大です」と語っています。
奥義とは「ミュステーリオン」というギリシャ語を用いられているのですが、
この語彙には「秘密」という意味でも用いられています。
この秘密とは、ふたりは一体になるということ、
イエスさまが私たちと一つになるためにしたこと、
つまり「自分自身を与えた」ということを指しています。
イエスさまが十字架にかかられご自身を犠牲にしてまで
私たちの最善となるようにしてくださった犠牲的な奉仕は、
私たちとイエスさまの間に深い一致を与えてくれました。
イエスさまによってこそ、本当にいのちに生かされるようになれるのです。
そしてその犠牲によって、私たちと一つになってくださったのです。
ここに、結婚における聖書的な姿が描かれているわけです。
同時に鋭く問われます。
果たしてキリストが私たちにしてくださったように、伴侶を愛しているか、と。
結婚こそまさに福音を味わう現場であり、
また、福音の恵みをそのものというわけです。
なんという奥義でしょう。
私たちは結婚を通して、この福音を明らかにしていくのです。
結婚は、末長く幸せに暮らしました、というハッピーエンドばかりではありません。
むしろ、その多くが困難に溢れています。
クリスチャンであってもそうです。
すれ違い、意見が衝突することもあります。
しかし、イエスさまは、私たちを愛しておられます。
どんなに罪深くとも、受け入れてくださいます。
そんなイエスさまが示した愛を模範にしたいものです。
福音の力によって、古い自分が砕かれ、
神様によって土台から作り変えられ、
相手を愛し受け入れ、
献身的な愛を注いでいく。
すると相手も神の愛によって変えられ、
相手もその愛を表せるようになる。
これが結婚の秘密(奥義)です!
イエスさまの大きな愛に、心から感謝いたします!!
ー「それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる。」
この奥義は偉大です。ー エペソ人への手紙5章31−32節
学びの後の分かち合いのひと時も祝されました!
0 件のコメント :
コメントを投稿