2016年9月6日(火)
毎週火曜日の聖研、今日も守られたことに感謝いたします。
引き続きO.ハレスビー著の『祈り』を一緒に読みつつ、
分かち合いのひとときを持つことができました。
今週は「祈りの学校・祈り霊」というテーマ二本立てです。
今週の学びでハレスビー著の『祈り』は最後になります。
祈りについて、14週間かけて学びました。
祈りには戦いがあること、
神さまは祈ることを望んでおられること、
呼吸するように常に祈れるようになりたい、
・・・毎回たくさんの学びや感想がありました。
しかし、信仰生活を送る上で祈りについて疑問に思ったり、
祈りの時間を怠ったり、利己的自己満足な祈りをしたり、
日によっては祈ることも讃美することもみことばを読むことさえも億劫になること、
ありませんか?ありますよね。
そんな時、祈りの霊を求めましょう。
小さい子どものように「祈りの霊を下さい!」と単純に祈りましょう。
日常生活のいっさいを神さまに語れるようになったら、
どんなに祝福でしょうか。
・・・祈りを読み終えて、
今、自分が立っているこの場所、この時間、この祝福は
誰かの祈りの答えだということを教えていただきました。
私たちはたくさん祈りますが、祈りの答えがすぐでるとは限りません。
また、祈りの答えが出ているにもかかわらず、気づかず通り過ぎることもしばしば。
けれども、私たちのためにだれかがとりなして祈ってくれた祝福を
私たちは降り注ぐ雨のように受けています。
ですから、私たちは絶えず祈り続けたい、そう思うのです。
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今日の青年会はテレビ電話で奈良の青年が参加してくれました!
祈りの戦士を送ってくださった神さまに感謝いたします。
また、これからも良き交わりが持てますよう、祈りつつ。
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