今日も無事に開催できました!
いつもお祈りありがとうございます。
今日は『結婚の意味』第8章の後半。
セックスと結婚、というテーマの続き、
この本の最終回でした。
前回、結婚関係の中でしか認められないセックスは、
非常に強烈な作用があることを学びました。
今私たちの生きる文化では、
感情的な高まりの延長線上だけで体を重ね合うことが普通です。
それ以外に理由はあるの?
好きだったらして当然じゃない? と。
そういう風潮に毅然と反論するのが、パウロであり、
聖書的な世界観、神が定めた性理解です。
本来セックスは、それ自体に
男女を強烈に結び合わせる力があります。
文字どおり二人のすべてを結び合わせます
肉体的に、人格的、霊的に。
そのため、社会的・経済的・法的・人格的...など
一人の人間のあらゆる面において
すべてを一致させる意志の相手と性的関係をもってしまえば、
セックスは、その当然の結果として、両者の人生を歪めてしまうことになるのです。
生きる方向性が違う別々の二人が、
いっときの感情的な高まりで、
感情だけ、肉体だけで結ばれようとするのには無理があるというわけです。
逆に、お互いをささげある覚悟のできた、
結婚関係にある男女に於いては、
セックスは最高の愛情表現ともなり、素晴らしい潤滑油となります。
...今日読んだ箇所で印象的だったのは、
一般的なクリスチャンイメージとは裏腹に、
どうやらパウロはセックスを奨励している、ということです。
夫は自分の妻に対して義務を果たし、同様に妻も自分の夫に対して義務を果たしなさい。(Iコリント7:3-5)の箇所ですね。
当時、男性は、婚外においても性的関係をもつのがあたりまえだった
ローマ文化を背景とする中で、
夫婦関係において、お互いに自分を肉的にも積極的に捧げ合いなさいと強調するとは、
かなり衝撃的です。現代においても。
また、セックスについて
家庭においても教会においても
話題として避けてしまう風潮で、
聖書的な性理解をどのように獲得できるかというのが、
非常に大事な課題だと改めて思わされました。
ガイドがいないから、迷ってしまう。
性に関しては、特に教会においても顕著だと思うわけです。
...自分たちの経験と照らし合わせても、
やはり、正しい世界観の提示こそ、
教会コミュニティが提供すべき大事なことだなと思わされました。
『結婚の意味』を通して、
結婚に対する向き合い方、
日々の営みの方向性、
結婚生活を送るための活力の源など、
本当に濃厚な学びの数々に触れられました。
ここで学んだことをそれぞれの持ち場で
実践できるようにお祈り頂ければ幸いです。
0 件のコメント :
コメントを投稿