毎週火曜の青年会。
今日も無事に開催できました!
いつもお祈りありがとうございます。
今日は、というか、
今日からは、『ラディカル』(David Platt著)という
文字どおりラディカルな本を読み始めました。
※radical=徹底的な、革新的な、根本的な、etc…
第1章がイントロダクションのようになっていましたが、
その問いかけは、真に迫るものがあります。
私たちは、ほとんど当たり前のように聖書を読みますが、
あまりにも日常にありすぎて、
自分勝手な読み方をしてないか?
キリストが発せられた言葉を、
受け取りやすいように「自分なり」に薄めて解釈してないか?
と問われた気がしました。
キリストは、大群衆にいつも囲まれていたが、
弟子訓練を集中的に行ったということ。
アメリカの4千人規模の教会を牧会する牧師が、
そのことと身を置いているアメリカ文化とのギャップに
まず問題提起をして本書を始めています。
日本とアメリカとでは事情はだいぶ違いますが、
根本的な問いかけはまったく私たちにも通じます。
どれだけ福音に価値を見出しているか?
どれだけキリストに従おうと願っているか?
などなど。
キリストは、実にラディカルなことを言います。
『わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、
父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、
その幾倍をも受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。マタイ19:29』
キリストが活動された時代も文化も違うため、
ほとんど無意識レベル私たちは
「そうは言っても生活が。。。そこまで従うには。。。」
とどこかでみことばを薄めて受け取っているわけです。
目を背けていたつもりはありませんが、
つい、うやむやにしてしまうような問いかけ。
そんな出だしでした。
これからどのような展開で、
本書がキリストの弟子になるよう勧めていくのか。
非常に楽しみです。
今日はたくさんのメンバーが集ってのひと時でした。
いつもお祈りありがとうございます。
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