熊本北聖書キリスト教会

熊本北聖書キリスト教会

2017年1月10日火曜日

今日の青年会

毎週火曜の青年会。

今日も無事に開催できました!

いつもお祈りありがとうございます。


今日は『ラディカル』の第2章。
「御言葉への強い飢え渇き」でした。


著者の経験から始まるのですが、
弾圧・迫害が日常的な
僕らの住んでいるところとは完全に異質な
ものすごい世界があるのだな、といつも思わされます。

礼拝が公にできないような国が、今、この現実にある中で、
熱心に御言葉に渇き神を求める信仰者の集い。

一方で、エアコン完備、座り心地のいい椅子に、
充実した音楽プログラム、ピカピカの聖餐式用の器具など、
御言葉の周辺が充実した教会生活を疑いもせずに送っている私たち。

果たしてどれほど熱心に御言葉を慕い求めているか?
足したり引いたりせずに、
そのままの神の言葉を知ろうとしているか?

強く問われます。


神は愛に深く、慈愛に満ちた方であることは疑いありませんが、
聖書は、それだけを述べてはいません。

裁き主であり、妬む神であり、罪を憎まれる神でもあるわけです。

そして、その神の性質を、私たちは条件反射的に、薄めてしまおうとする癖があるのではないでしょうか。


わかりやすいイメージに神を閉じ込め、
自分にフィットする神さまだけを味わおうとしていないか。

これまで聞いた聖書の話をすべて理解した気になって、
これ以上は別にいい、と蓋を閉じてしまっていないか。



…思うところはたくさんありますが、
痛いところの核心をあまりについてくるので、
かなり気持ちが重くなること請け合いの章でした。


生ぬるい優しい言葉だけを聖書は語りません。
あくまでもリアリスティックな霊的な事実をつきつけてきます。

イエスが「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、
天におられるわたしの父のみこころを行うものが入るのです。…」
という言葉も、よくよく味わえば、厳しいではないですか。

そのような気づきが多くある章です。


福音を、もっと正しく、神の視点で理解したい。
もっと渇き、御言葉をしたい求めたい。

…と思わされます。

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