毎週火曜の青年会。
今日も無事に開催できました!
いつもお祈りありがとうございます。
今日は『ラディカル』の第5章。
「増幅する共同体」でした。
弟子作りこそ世界宣教の中核にあり、
この言葉は私たちに向けられているものだ、
というのが今回のテーマです。
毎回読むたびに思わされるのが、
私たちは同じキリストの言葉でも
つまみぐいしてしまっているということ。
疲れた人は私のところに来なさいと語られたイエスは、
同じように私たちに、世界中に福音を伝えなさいと言われました。
同じ重さで、キリストの言葉を受け止めていない自分に気づかされます。
世界宣教、弟子作りの実践は、
福音を知らない人に罪を示し真理を突きつけることに本質があるのではなく、
関係を作ることだと5章では語られていました。
私たちは、宣教とか、伝道とか
とかく大きく捉えて曖昧にしてしまいますが、
もっと現実的で、実践的で、効果的な方法があることを見落としている気がします。
また、何千人もの大衆に対して奇蹟を行い、
力強く福音を語ったキリストが、
実はそのようなみわざ以上に
たったの12人の弟子育成に時間を割いたことに気を留めていません。
このキリストがされた実践にこそ、
今の私たちに決定的に必要なすべてがあるように思います。
伝道とは、生きた関係を作ること。
ここに尽きるように思います。
洗礼を授け、教え導くこと。
福音を受け取った者自身が、同じように洗礼を授け、
教え導けるように育成する。
この単純なプロセスが連綿と2000年も続いて、
こうして私たちも福音を受け取ったのではないでしょうか。
このキリストの実践に思いをはせる時、
自分が福音のリレーをストップさせているのではないかと思わされます。
みことばを語り、分かち合い、学びを継続すること。
これも「教える」という行為の一つでしょう。
私たちが公に教える立場でなくてもできることです。
教会の講壇にたってメッセージをすることだけが「教える」のではなく、
生きた人間関係の中、生活のふとした瞬間、祈りの中で
神のみことばが聞く者の心にしみこんでいくのだと思うのです。
みことばを教えることも、キリストの弟子に導いていくことも、
誰かに任せていいものではなく、
自分自身が実践しなければいけないこと。
また、その実践の場、福音を伝えるべき人、
深い関係を築くべき人、キリストにつなげるべき人は
私たちそれぞれに与えられています。
キリストのいのちに生かされている私たちは、
神様の栄光をあらわして生きようと思う限り、必ずこの歩みに導かれます。
そして、それは可能で、必要なすべては与えれてるというのが
私たちに与えられている約束でしょう。
キリストのいのちが私たちの中に生きていて、
そしてそのいのちに、いのちを失われている人をつなげていく。
これが私たちに託されている主の命令です。
主の祝福を受け、栄光をあらわす。
この恵みの輪に、今、この私たちでどのよう加わっていくか。
...今遣わされている持ち場で実践していけるよう、祈っていきましょう。
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