毎週火曜の青年会。
今日は特別な会になりました。
というのも、兵庫、福岡、東京、、、と
熊本にボランティアでこられていた青年たちが合流して、
交わりを兼ねて、食事と学びとを共にしました。
中にはブログを読んでくださって来られた方もいて、
いつも3倍くらいの人数で、
しかも若者ばかりで非常に熱のある時間でした。
特に、それぞれの教会の
霊的な課題をシェアし、祈れたことは大きい。
このようなつながりを現実で確認するとき、
同じキリストの体に生かされているんだな、と感じます。
同じように救われ、
同じように神様の器として用いられ、
励まし合い、叱咤し合い、
お互いがお互いを生かし合っていく関係。
初めて会った人であっても、
同じ神の家族であるという認識は
大きな安心感と喜びをもたらします。
特に、熊本地震があって、
痛み、傷付いた人のために
何かに役立ちたいという思い。
そんな思いで来ていただいたというだけで
本当に、ありがたいな、と思います。
それにも増して、
同じ場で祈り合えたことが、
本当に、感謝なことでした。
……
今日の学びは
『ラディカル』の第9章の前半。
「ラディカルな実験〜真逆の生活に向き合う一年間〜」でした。
これまで、本書を通してさまざまな問いかけを受けてきましたが、
常々思わされて来たのが、
「一体何から始めたらいいのか?」
ということでした。
モノもおカネもいのちも、
すべて神様にお返しして、神の国の働き人として生きる。
それがこの世のどんな成功、幸福よりも、
何よりも素晴らしく価値がある。
…と学んできたのはいいものの、
活字で読んだからといって
それがすぐに実践をするだけの動機にはなりにくわけです。
私たちの生活は、
この瞬間瞬間絶えず目の前にあるので、
聖書を閉じた瞬間、祈りが終わった瞬間、
まったく神の国のことなど考えなくなってしまう状況に囲い込まれています。
だからこそ、
何から始めたらいいのか。
この世的な引力に抗うには、
何から手をつけたらいいのか。
…それらの一つの回答が9章(最終章)、
「ラディカルな実験」の主旨だろうと思います。
世界宣教へと力強く招き続ける『ラディカル』という本は、
味を薄めて聖書を読んでしまう私たちにこそ必要な処方箋でした。
聖書に、確かにはっきり、
世界に福音を述べ伝えるべきことが書かれているのに、
私たちは、重荷を軽くしてくださるイエスさま、と
自分がラクになるようにしか読み取ろうとしない癖があります。
だから、改めて、
世界に出て行くべきことを思わされる本なのです。
そのような主旨で、今日のまとめを読めば、
やはり、祈ることも、みことばを読むことも
世界に福音を述べ伝えていくためなのだなと理解できます。
…祈りといえば、
今日学んだところで興味深かったのは、
“Operation World” という本の存在です。
(参加していた夙川聖書教会の方に聞くと、
何名か読んだことがあるとのこと、これも驚きでした。
当然読んでおくべき本だということだと感じます。)
どのような本かというと、
世界のすべての国の宗教事情、福音宣教の働きの最新情報、
祈りのリクエストなどの情報が記載されているもの。
つまり、どこでどのような霊的困難があるのか。
どこに福音が伝わっていないのか。
どこに私たちは出て行くべきなのか。
それ以上に、何を祈るべきなのか。
それがハッキリと記されている本なのです。
(web サイトも公開されており、全リソースが入手可能)
http://www.operationworld.org)
ルカの福音書10章2節の
「実りは多いが、働き手が少ない。
だから、収穫の主に、収穫のための
働き手を送ってくださるように祈りなさい。」
という箇所。
私たちの祈りは、
ほとんどが自分自身に関わることで占められています。
自分と、家族と、教会と、、、
余力があれば地域のこと、日本のこと、、、
と少しずつ広げはしますが、
世界のためにはほとんど祈れていないのが現実だと思います。
というより、
行った事もなく、
地名も民族も、文化も社会も知らない国。
イメージすらできない国のために
祈ることはほとんど無理なのです。
だから、知らないといけない。
もっと、世界に自分をプッシュしていかないといけない。
世界のために祈ることも
主にあるチャレンジなので、
是非、世界を知り、祈っていかなければと思わされました。
Operation Worldなどを活用して、
自分の身の回りのことだけでなく、
世界のために祈ること。
大きなチャレンジでしょうが、
やりがいも同時にあることでしょう。
一緒にやりましょう。
目に見える結果を、
自分の喜ぶ祈りの結果を安易に求めてしまう私たちですから、
自分が満足する結果のために祈るのではなく、
約束の成就を生きている間に体験しえなかったアブラハムのように、
神の国の働きに関われること、そのものに喜びをもって
祈っていけたらと思わされます。
また、今日の「ラディカルな実験」の第二項、
聖書を通読する、ということも
あまり重きを置いていなかったなと反省させられます。
昨今様々な信仰関連書が出版されていますが、
やはり大事なの、聖書そのもの。
どんなガイドブックも解釈本も、
聖書にはかないません。
レビ記も民数記も、その他の書簡も、
たとい難解だろうと、
それが神様から人類に送られているメッセージだとするなら、
また、神の子とされているなら、
読まずにはいられないのではないでしょうか。
わからないから、むずかしいから、
そもそも私はユダヤ人じゃないから、
古代と現代とは文化が違うから、、
…と、敬遠し拒む理由はいくらでもありますが、
神様の言葉をちゃんと味わおうとしているか?
という姿勢が問われているのだと思うのです。
また、普段読んでいたとしても、
通読する中で、それが神様からの言葉だと
真摯に受け止める実践を
新たにしていきたいと思わされました。
….
今日は、多くの主にある兄弟姉妹と共に過ごし、
本当に楽しく、祝福されたひとときとなりました!
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