毎週火曜の青年会。
今日も開催できました。
いつもお祈りありがとうございます!
時々ゲストがふらっとやって来てくれるので、
迎える方も楽しみがあっていいです。
少人数でやっていますので、
全員が近くで意見交換できるのがいいですね。
…今日は『ラディカル』の最後、
第9章のまとめのところでした。
ラディカルな実験として、
著者が私たちに実践を迫ってくるわけですが、
とっかかりがなければ難しいので
5ステップで提案してくれています。
1.全世界のために祈る
2.聖書全巻を通読する
3.自分のお金を特定の目的のために用いる。
4.一定の期間を別の場所で過ごす。
5.信仰共同体の増幅のために自分の生活をささげる。
今日は、5番目。
世界のために祈ったり、
聖書を通読したり、
お金や時間を捧げたりするわけですが、
結局のところ、教会を通してでなければ
福音の伝わり方としては
神様の計画ではないと述べられています。
教会を通して福音を伝えること。
それは、教会こそが
みことばの実現するところだからです。
キリストのからだとして表現されるように、
教会は、私たちの霊肉が集まる場であり、
キリストと一つとなる場です。
一人一人がキリストによって結び合わされ、
神の国の一員として生かされていることを
この地上において確認する場でもあります。
天の御国の前味を体験するところとも言えます。
キリストの花嫁とも表現される教会を、
神がどれほど深く愛され、
情熱を注がれたのかは聖書から学び取れます。
その教会を起点として、
私たちは世界に出て行くべきなのです。
信仰があれば、別に一人でいてもいい、
信じていれば問題ないという考えも
中には持っている方もいるでしょう。
属すべき教会がなく、
貢献したいと思える教会もない方も
いるかもしれません。
ですが、個人的にどんな理由があっても
神様は教会に私たちが属することを望まれます。
キリストのからだに属さない限り、
結局はいのちを保てないからです。
祈るにしても、
私たちは一人で祈るのではありません。
共に心を合わせて祈るのです。
そして、私たち以上に
キリストが一緒に祈ってくださいます。
教会に属することを抜きにして、
信仰生活は考えられません。
これまで『ラディカル』を読んできて、
至るところで世界に福音を宣べ伝え
出かけて行くようにと呼びかけられてきました。
それは、教会の一員としてでなければ
実践には結びつきません。
そして、そうでなければ意味もありません。
福音を受け取る人が
新しく教会に属するようになること、
新たな教会が建てられていくこと。
こういったビジョンがあるからこそ、
教会を抜きにして福音は語れません。
時間もお金も、直接的には
教会にささげ、そこに属する兄弟姉妹の
必要を満たすために用いてもらう。
そして、自分たちの教会だけでなく、
世界中の教会も同じキリストのからだですから
世界中の必要に応じれるように、
時間とお金とをささげていくこと。
このようにして福音が伝わり、
本当のニーズが満たされていくのだと
『ラディカル』では繰り返し語られていました。
当教会でも熊本地震の際には、
すぐに全国の、世界からの支援がありました。
同じキリストのからだに属しており、
痛みを共有してくれたからだと思います。
自分や自分の家族、
自分の教会のことだけでなく、
キリストのからだとしての
全世界のすべての教会に思いを馳せ、
そのために自らをささげていくこと。
犠牲を主のために払っていくこと。
その強烈な呼びかけが
『ラディカル』にはありました。
主はいつも読んでおられることを
思い起こさせてくれて、
目の前にはなすべき主の仕事が山積みになっているということに気づかせてくれた本でした。
時間をかけてじっくり味わってきたつもりですが
まだまだ血と肉となっていない気はします。
生活の中で日々実践し、
みことばに生かされることの体験を
積み重ねていくこと。
主のみわざが
祈る私たちを通して実現していくこと、
それを目撃し続けること。
これが本当の意味で
『ラディカル』の先にある姿かなと思います。
ともあれ、
みことばを読み、祈り、ささげること。
この実践を
小さな一歩から続けたいと思います。
祈りの輪を広げること、ですね。
来週からは、
がっつりと聖書を読み込んでいこうと思います。
聖書を土台にした特定のテーマ別に
これまで本を読んできましたが、
聖書の基づいた考えは正確な理解からですので、
次からは聖書そのものを
深く味わっていこうと考えています。
とはいえ注解書を足がかりにはしますが、
メインディッシュは聖書です。
分量的な事情から、
ヘブル人への手紙を扱うことにしました。
お楽しみに!
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