熊本北聖書キリスト教会

熊本北聖書キリスト教会

2017年9月15日金曜日

今日の青年会。

今日の青年会。

秋っぽくなってきたかなと思いきや、
ちょっと湿気の多い夜。

今日もいつものメンバーで聖書を開くことが出来ました。


シュラッターのヘブル人への手紙講解も、
残すところあと3回ですが、
ヘブル書もいよいよ大詰め。

今日は12章1~8節でした。


11章の信仰の先人たちの人生を踏まえ、
「こういうわけで」と
続くのが12章です。


聖書に登場する信仰者たちが、
どのような境遇にあり、
神と向き合い、信仰を貫いたか。

そして、どのような結末を迎えたか。


聖書には数多くの信仰者が登場しますが、
その人生、生き様は、
私たちと同じ人間だからこそ
よく響いてきます。

同じように人間臭く、
神の前に正しくない存在ではありますが、
それでもなおも神に期待を寄せ、
神からの約束を握りしめているわけです。

そして神の応答を得た彼らの歩みの記録は、
思い悩む私たちにとって
大きな励ましとなります。



こういったことを踏まえて、
神のことばを最後まで握りしめた
信仰の先人たちのように、
私たちもそれぞれ招かれている
信仰の道をしっかりと進もうではないか。

とヘブル書の著者は激励します。


「競争」というたとえで
私たちの信仰の歩みが描かれていますが、
これは普段意識しない、
盲点ではないかと思います。

信仰をもつことが、
どうして競争であるのか、と。



普通「競争」は、
どうしても勝ちたい、獲得したいという
参加者全員共通のゴールがあるものですが、
こと信仰に関しては、
そのような熱心さがあるだろうか?
とふと思わされます。


信仰を持って、教会に通い、
日々を過ごしていくうちに、
「競争」するような熱心さをもって
神の約束の喜びを握りしめているか?

と、問われる箇所です。


イエスがどれほどの苦しみを受け、
私たちに信仰を贈り、完成させたか。

イエスが一体どのような喜びを
目の前にしていたために、
苦しみをものともせず
自らを犠牲にされたのか。


そのイエスの喜びとは、
私たちが神のもとに帰ること。

同じ神の子とされ、
神の家族として祝福を受けること。


このような、神のご計画を
すべてご存知だったからこそ、
主は私たちの罪を処分されました。


私たちがこの地上の歩みで味わう
困難は、キリストの受けた苦しみとは
比べるほどのものでもないでしょう。


どれほどのことを
主がなしてくださったのか覚え、
与えられている信仰を日々点検しつつ
神が与える愛ある訓練として、
置かれた場における働きを
日々まっとうしていきたいものです。


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