熊本北聖書キリスト教会

熊本北聖書キリスト教会

2017年9月29日金曜日

今日の青年会

今日の青年会。 
 
日中はまだ残暑を感じる熊本ですが、 
夜風はかなり涼しい秋模様。 
 
気づけば9月も終わりにさしかかり、 
秋も深まりつつあるんですね。 
 
あったかい鍋ものが美味しくなりますね。 
 
 
// 
 
 
これまで読み進めてきた 
シュラッターの 
ヘブル人への手紙講解が、 
本日が最後となりました。 
 
今日はヘブル書は13章、最後の章で 
 
「キリスト教会の秩序」 
 
というテーマでした。 
 
 
 
これまでヘブル書では、 
キリストの血の価値、 
祭司としての完全性について 
旧約と新約との明確な対比において 
論じられてきました。 
 
私たちのキリスト信仰の中核をなす、 
まぎれもない霊的事実の詳述です。 
 
見事なまでに、キリストは 
旧約の律法を踏襲して、 
獣の血の犠牲との対比で 
自らを完全な捧げ物として犠牲にされ、 
永遠の大祭司として神の右につかれました。 
 
 
・・・このような、 
私たちが使徒信条で常日頃唱えている 
信仰内容が、ヘブル書には 
いたるところに散りばめられています。 
 
そして明らかになった私たちの救いは、 
私たちの信じる力ではなく、 
信仰をさえ私たちに賜り、 
完成されたキリストにかかっていること。 
 
私たちの力には一切依存せず、 
神との和解がもたれること。 
 
だからこそ、完全な希望となるわけです。 
 
 
神との和解において 
私たち自身から何か必要であれば、 
望みはありません。 
 
一切私たちに拠らないで、 
キリストにかかっているからこそ 
希望なのです。 
 
 
この希望を共有するからこそ、 
教会はキリストのからだとして建てられ、 
みなは兄弟姉妹として 
神の家族となるわけです。 
 
 
この神の家族に属することが 
どれほど祝福に満ちていることかを、 
私たちはますます 
噛みしめないといけないでしょう。 
 
 
キリストが愛された教会。 
主にある神の家族。 
 
 
この教会認識を踏まえて、 
ヘブル書の著者は 
兄弟愛と、清い結婚と、 
金銭に無欲であることを掲げます。 
 
 
より実践的なこれらの教えは、 
御霊の実が結実したような佇まいでしょう。 
 
キリスト者の生活のガイドラインとして、 
自己点検しつつ 
自分もキリストのからだ一部として 
教会を秩序立てていきたいものです。 
 
 
 
ヘブル書は、 
純化された信仰内容の凝縮されつつも、 
直接的な激励の言葉がたくさんあります。 
 
2000年前にキリスト者であることが 
社会的には一切の利益にならなかった時代。 
 
社会的には圧倒的な弱者であった 
キリスト者に向けて、 
非常に力強いゆるがない希望を掲げ 
励ますこの手紙は、 
キリスト者として今を生きる私たちにも 
深く響いてきます。 
 
キリストのからだとして、 
互いに励まし合い、愛し合い、 
賛美をささげ合いながら歩むことは、 
今も昔もこれからも変わりありません。 
 
 
実に多くの霊感と確信が得られる 
ヘブル書は、 
希望がかすむときにこそ読み直したいものです。 
 
 
 
// 
 
 
 
実は本日でここでの青年会を 
一旦の区切りとして終わります。 
(第2子の出産を控えているため) 
 
 
これまで多くの祈りによって 
支えてくださったこと、 
心より感謝いたします。 
 
 
ヘブル書10章25節の 
 
「ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。」 
 
とあるように、 
これからも何らかの形で 
教会に仕える活動を続けたいと思います。



0 件のコメント :

コメントを投稿