今日の青年会。
ここのところ秋雨かな?という天候が続いていて、涼しくはなってきていますがやや湿気が多いですね。
夜は涼しげな虫が鳴いている中、今晩も
シュラッターのヘブル人への手紙講解を
読み進めました。
今日は12章の後半。
信仰の先人たちの人生が紹介された、
11章の信仰の章を踏まえての激励の言葉。
私たちの眼の前にある競争を
忍耐を持って走り抜こう、
信仰の創始者であり完成者である
イエスから目を離さないでいよう。
というように、
ここまでの手紙の内容をふまえて
キリストの体として教会に建てられている
私たちを徹底的に励まします。
私たちは、痛みや苦難に直面すると
本能的に拒み、避けようとしますが、
逃げることで成長することはありません。
むしろ、神に対してかたくなになり、
ますます視野が狭くなってしまいます。
このような性質をもった私たちは、
適切な訓練を受けなければ、
人生を台無しにしてしまいます。
言うまでもなく、
子を愛する親は子を訓練します。
人間的な身勝手さにおいて
一時的な訓練を施す肉親である親ですら、
子に愛を注ぐわけです。
まして一生涯たゆむことなく
平安な義の実を結ばせるべく訓練し続ける
創造主である父なる神が、
どれほど私たちを愛しておられるか。
苦難や痛みを通してこそ神を近くに感じ、
子として特別に
愛されていることを思うべきでしょう。
信仰者としての歩みは、
聖書に登場してくる先人たちのように
決してたやすいものではなく、
むしろ困難の方が多いと暗示されますが、
だからこそ著者は読者を激励します。
これは
初代教会のユダヤ人キリスト者たちに向けて
書かれた手紙ですが、
まったく今の私たちに向けられた言葉として
肉迫してきます。
12章の内容は、
10:24-25に要約されているように
まさしく、集まることをやめないで、
互いに勧め合い、愛と善行に進むことを
促しています。
イエスの血の贖いによる、
神の家のメンバーとして神の国を相続する、
その途方もなく大きな約束を受けた私たち。
この世のどこにもない祝福が
約束されている希望があるのだから、
ますます主にあって歩み、
平和と聖さとにあずかろうではないか。
…というように、この著者は何度も
私たちが握りしめている希望を思い起こさせ
目の前にある働きへの活力を喚起します。
主の御名のもとに集い、
同じ神の家のメンバーとして
いつも希望を分かち合うこと。
この喜ばしい姿は、今も昔も変わらない
キリストの祝福に招かれた者たちの特権で、
共に神の安息に導き入れられる共同体です。
身に余る祝福に溢れるからこそ、
この地上の歩みにおいて
感謝をもって主に仕えていくことが
私たちにとって自然で、
また、それが神との正しい関係性です。
今置かれている場や与えられている役割が
どのようなものであれ、
主に遣わされた者として
感謝をもって働きたいものです。
神の家族として、
同じ神に生かされる喜びを分け合い、
祈りに覚え合いながら
励まし合いながら歩んでいきましょう。
0 件のコメント :
コメントを投稿