2016年8月16日(火)
毎週火曜日の聖研、今日も守られたことに感謝いたします。
引き続きO.ハレスビー著の『祈り』を一緒に読みつつ、
分かち合いのひとときを持つことができました。
今週は「祈りの意味」というテーマです。
祈りとは、そもそもどういうものなのか。
一方的に、私たちの願い事を神さまに伝え、
かなえばよし、かなわなければ信じない。
そういった、世の中の大半の基準とは正反対のものだと学びました。
私たちの欲求や必要を満たすための手段に貶めるか、
それとも、神さまの御心がかなうための良き通り管となるか。
それはひとえに、どのようなことを祈ろうとも最終的に
主の御名が崇められることにつながっているかどうかにかかっています。
どんな願い事も、必要も、神さまへの訴えも、
すべての祈りが主の御名が崇められるためにこそ差し出されていると言えるか。
ここにキリスト者の祈りと世の祈りとの明確な違いがあるわけです。
どんな小さな願いでも主に祈り求め、
たとえ苦難の中で祈りに答えがなくても、
主の御名を崇めることを求め、平安のうちに主を待つ。
どんなことであれ、
祈りを通して働かれる神さまに栄光を帰すように、
御名が崇められるためだけに願い求めること、
神さまに委ねるという祈りの秘訣を学びました。
ーわたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。
父が子によって栄光をお受けになるためである。 ヨハネの福音書14:13ー
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