2016年8月23日(火)
毎週火曜日の聖研、今日も守られたことに感謝いたします。
引き続きO.ハレスビー著の『祈り』を一緒に読みつつ、
分かち合いのひとときを持つことができました。
今週は「祈りの形態」というテーマです。(あと残り3章です!)
お祈りは、人格の神とともにある人間の個人生活の表現なので、
人との会話と同じように、言葉を取り決めたりせず、
自然発生的で自由で生き生きした形であるのですが、
ハレスビー氏は祈りには5つの形態があると教えてくれています。
一つ目は願う祈りです。
以前、祈りの誤用について学びましたが、ついつい、この願いは肉の思いだとか、
この世的な願いだと、真に求めているにもかかわらず、
祈らずに心に留めてしまう事、ありませんか?
私たちが求めるものを受けるか否か、それは神さまが決めてくださいます。
子どもが、親にお願い事を素直に話せる関係って素敵ですよね。
私たちも、神さまに自分の心の願いを知っていただく事が大切なのだと学びました。
二つ目は感謝の祈りです。
なにかしてもらったら「ありがとう」を言いなさい!よく聞くセリフです。
私たちは自分が必要と思っている以上のものを神さまから賜っています。
神さまにいただいている賜物を心の底から感謝する事、
幼子にありがとうと言いなさい!と教えるように訓練が必要です。
すべての事について神さまに「ありがとう」と心から言えるようになりたいものです。
三つ目は讃美です。
感謝と讃美は両者とも神に栄光を帰するものですが、
讃美は私の思いを超え、神さまへの頌栄となり、鳴り響きます。
この地上で神を讃美する事を学ばずして、天のコーラスの一員になることはできません。
四つ目は会話です。
祈りはいつしますか?
起きた時、寝る時、祈祷会の時・・・
イエスさまは、厳かな時間だけ聞いておられるわけではありません。
いつでも、両手を広げて待っていてくださいます。
また、「鍵が見つかりません!」というような小さい祈りも快く聞いてくださっています。
絶えず祈りなさい、とあるように、私たちは絶えず呼吸しているように、絶えず祈り続けることを、神さまは望んでおられます。
呼吸によって生かされるように、祈りによって神さまに新しくつくり変えてくださいます。
最後は言葉のない祈りです。
幼子が遊び疲れて、母の膝の上で眠るように、
神さまはいつでも私たちが近づくこと、御前に歩み出ることを待っておられます。
会話が続かなくて気まずくなる?神さまはそんなお方ではありません。
黙って、神さまに信頼して御前にただ座る。
それを祝福と感じたい。そう思います。
ーその御前にあなたがたの心を注ぎ出せ 詩篇62:8ー
0 件のコメント :
コメントを投稿