熊本北聖書キリスト教会

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2016年11月15日火曜日

今日の青年会

毎週火曜の青年会。

今日も無事に開催できました!

いつもお祈りありがとうございます。


今日は『結婚の意味』の第6章前半。

「互いに喜び合う」というテーマでした。


特に、男女の性差・ジェンダーロールに
焦点を当てて詳述されている章で、
いつもより抽象度が高かったようでした。


パウロが使用する「かしら」「従順」といった言葉は、
現代社会の風潮からはやや激烈で、
論争を起こしやすいような雰囲気があります。

男女平等であるのが、
社会的には当然のこととされているのに、
結婚において、
聖書的な結婚生活において、
どちらが「かしら」で、
どちらが「従順」というのが
明確に主張されてしまうと、
大抵の場合、すんなり納得できないのではないでしょうか。


男女の性差は、
明確な神のデザインがあって存在しているというだけで、
そこには優劣がありません。

男性からみて女性は劣るわけでもなく、
女性からみて男性が劣るわけでもありません。

夫婦間で優劣を争うために、
男女は異なるわけではないのです。

神は、三位一体であられ、
一つでありながらそれぞれが違う位格をもつ存在。
この神の似姿につくられた私たちは、
特に男女間において、
異なる者と一致・調和するように導かれています。

自分と違うからこそ、
その違いを喜べるわけですし、
違うからこそ、自分以上の広がりをもてるわけです。



また、「従順」さというのは、
決して嫌々従う後ろ向きな姿勢なのではなく、
キリストが十字架にまで従われたような、
自ら進んでささげる意志ある姿勢です。

その、キリストの姿と重ね合わせて、
パウロは「従順」であるようにと示すのです。

能力や立場の優劣によって「従順」が命じられているのでなく、
愛ある自由さから勧められているわけです。

また、「かしら」という言葉も、
夫婦間においては、かじ取りをする役割をもつ者に
あてられているだけで、ここに優劣の観点はありません。

男女の性差も、
夫婦間の役割分担も、
結局のところ、秩序をもって
家庭が一つとなるためにあるのであって、
私たちを不自由で窮屈にするためにあるのではありません。

男女の違いはむしろ祝福への通り道だというわけです。


男女それぞれの違い、それぞれの役割に理解を示し、
一致して歩んでいくことの大切さを改めて思わされました。





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