熊本北聖書キリスト教会

熊本北聖書キリスト教会

2016年12月31日土曜日

第1主日礼拝(新年礼拝)のお知らせ

2017年1月1日 第1主日礼拝
礼拝説教:豊世 武士 先生(熊本東聖書キリスト教会 牧師)
聖書箇所:詩篇2篇1~12節
説教主題:『来て飲みなさい』
招詞:詩篇1篇3節
その人は、水路のそばに植わった木のようだ。
時が来ると実がなり、その葉は枯れない。そん人は、何をしても栄える。

2016年12月27日火曜日

今日の青年会

毎週火曜の青年会。

今日も無事に開催できました!


いつもお祈りありがとうございます。


今日は、というか、
今日からは、『ラディカル』(David Platt著)という
文字どおりラディカルな本を読み始めました。
※radical=徹底的な、革新的な、根本的な、etc…

第1章がイントロダクションのようになっていましたが、
その問いかけは、真に迫るものがあります。

私たちは、ほとんど当たり前のように聖書を読みますが、
あまりにも日常にありすぎて、
自分勝手な読み方をしてないか?

キリストが発せられた言葉を、
受け取りやすいように「自分なり」に薄めて解釈してないか?

と問われた気がしました。


キリストは、大群衆にいつも囲まれていたが、
弟子訓練を集中的に行ったということ。

アメリカの4千人規模の教会を牧会する牧師が、
そのことと身を置いているアメリカ文化とのギャップに
まず問題提起をして本書を始めています。

日本とアメリカとでは事情はだいぶ違いますが、
根本的な問いかけはまったく私たちにも通じます。



どれだけ福音に価値を見出しているか?

どれだけキリストに従おうと願っているか?

などなど。



キリストは、実にラディカルなことを言います。

『わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、
父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、
その幾倍をも受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。マタイ19:29』



キリストが活動された時代も文化も違うため、
ほとんど無意識レベル私たちは
「そうは言っても生活が。。。そこまで従うには。。。」
とどこかでみことばを薄めて受け取っているわけです。

目を背けていたつもりはありませんが、
つい、うやむやにしてしまうような問いかけ。

そんな出だしでした。



これからどのような展開で、
本書がキリストの弟子になるよう勧めていくのか。
非常に楽しみです。


今日はたくさんのメンバーが集ってのひと時でした。
いつもお祈りありがとうございます。


2016年12月25日日曜日

『心からの献げもの』豊世 武士 先生

2016年12月25日 第4主日礼拝
礼拝説教:豊世 武士 先生(熊本東聖書キリスト教会 牧師)
聖書箇所:マタイの福音書2章9~12節
説教主題:『心からの献げもの』
招詞:マタイの福音書2章11節
そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。


2016年12月24日土曜日

第4主日礼拝のお知らせ

2016年12月25日 第4主日礼拝
礼拝説教:豊世 武士 先生(熊本東聖書キリスト教会 牧師)
聖書箇所:マタイの福音書2章9~12節
説教主題:『心からの献げもの』
招詞:マタイの福音書2章11節
そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。

教会学校
聖書のお話:『闇に輝く光』
聖書箇所:ヨハネの福音書1章1~5、9節、ルカの福音書2章8~20節
暗唱聖句:ヨハネの福音書1章5節

光はやみの中に輝いている。
やみはこれに打ち勝たなかった。

2016年12月20日火曜日

今日の青年会

毎週火曜の青年会。



今日も無事に開催できました!



いつもお祈りありがとうございます。





今日は『結婚の意味』第8章の後半。

セックスと結婚、というテーマの続き、
この本の最終回でした。


前回、結婚関係の中でしか認められないセックスは、
非常に強烈な作用があることを学びました。

今私たちの生きる文化では、
感情的な高まりの延長線上だけで体を重ね合うことが普通です。

それ以外に理由はあるの?
好きだったらして当然じゃない? と。

そういう風潮に毅然と反論するのが、パウロであり、
聖書的な世界観、神が定めた性理解です。

本来セックスは、それ自体に
男女を強烈に結び合わせる力があります。
文字どおり二人のすべてを結び合わせます
肉体的に、人格的、霊的に。

そのため、社会的・経済的・法的・人格的...など
一人の人間のあらゆる面において
すべてを一致させる意志の相手と性的関係をもってしまえば、
セックスは、その当然の結果として、両者の人生を歪めてしまうことになるのです。

生きる方向性が違う別々の二人が、
いっときの感情的な高まりで、
感情だけ、肉体だけで結ばれようとするのには無理があるというわけです。

逆に、お互いをささげある覚悟のできた、
結婚関係にある男女に於いては、
セックスは最高の愛情表現ともなり、素晴らしい潤滑油となります。


...今日読んだ箇所で印象的だったのは、
一般的なクリスチャンイメージとは裏腹に、
どうやらパウロはセックスを奨励している、ということです。
夫は自分の妻に対して義務を果たし、同様に妻も自分の夫に対して義務を果たしなさい。(Iコリント7:3-5)
 の箇所ですね。

当時、男性は、婚外においても性的関係をもつのがあたりまえだった
ローマ文化を背景とする中で、
夫婦関係において、お互いに自分を肉的にも積極的に捧げ合いなさいと強調するとは、
かなり衝撃的です。現代においても。


また、セックスについて
家庭においても教会においても
話題として避けてしまう風潮で、
聖書的な性理解をどのように獲得できるかというのが、
非常に大事な課題だと改めて思わされました。

ガイドがいないから、迷ってしまう。

性に関しては、特に教会においても顕著だと思うわけです。


...自分たちの経験と照らし合わせても、
やはり、正しい世界観の提示こそ、
教会コミュニティが提供すべき大事なことだなと思わされました。


『結婚の意味』を通して、
結婚に対する向き合い方、
日々の営みの方向性、
結婚生活を送るための活力の源など、
本当に濃厚な学びの数々に触れられました。


ここで学んだことをそれぞれの持ち場で
実践できるようにお祈り頂ければ幸いです。











2016年12月18日日曜日

『あなたのために生まれた神』松尾 献 先生

2016年12月18日 第3主日礼拝
礼拝説教:松尾 献 先生(KGK九州地区主事)
聖書箇所:ルカの福音書15章1-7節
説教主題:『あなたのために生まれた神』
招詞:ルカの福音書15章7節
あなたがたに言いますが、それと同じように、
ひとりの罪人が悔い改めるなら、
悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。

2016年12月17日土曜日

第3主日礼拝のお知らせ

2016年12月18日 第3主日礼拝
礼拝説教:松尾 献 先生(KGK九州地区主事)
聖書箇所:ルカの福音書15章1-7節
説教主題:『あなたのため生まれた神』
招詞:ルカの福音書15章7節
あなたがたに言いますが、それと同じように、
ひとりの罪人が悔い改めるなら、
悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。

教会学校
聖書のお話:『ヨセフの夢』
聖書箇所:ヨハネの福音書1章10~13節、ルカの福音書2章1-7節
暗唱聖句:ヨハネの福音書1章12節

この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、
神の子どもとされる特権をお与えになった

2016年12月14日水曜日

クリスマス集会のお知らせ

今年もいよいよクリスマス目前となりました。

当教会でも恒例の集会があります。

12/24(土)は19:00~20:00くらいで、
クリスマスイブ集会を計画しています。

12/25(日)は、15:00~16:00で
クリスマス礼拝があります。
※昼食は、持ち寄りで食卓を囲みます。

 ご都合つく方は是非いらしてください。

2016年12月13日火曜日

今日の青年会

毎週火曜の青年会。

今日も無事に開催できました!



いつもお祈りありがとうございます。




今日は『結婚の意味』第8章の前半。
セックスと結婚、というテーマです。


性に関しては、
家庭でも、教会でも、
肝心なところはほとんどオープンにされていないのではないでしょうか。

男と女に人は造られ、
そして私たちは必ずどちらかの性を生きているのにもかかわらず。

毎日、男として、女として
どちらかの性として歩んでいて
他人事にはなれない事柄なのに、です。


特に、セックスにまつわる誤解や疑問は
多感な青少年に対しては
信頼できるガイドが必要だと思うのですが、
身近にはあまりないのではないでしょうか。

家庭でも、教会でも。
 

自分にとってのガイドの存在もそうですが、
自分がガイドになれているかどうかという視点も大切ですよね。

....その、性にまつわるガイドに当たるのが、
今日の学びの箇所でした。



セックスについて聖書はどう語るか。

 一般的には、
聖書=性に厳格、というイメージも流布していますが、
忠実に聖書を読めば、そのイメージは実は表面的なものに過ぎません。

神が、人を男と女に分けて創造されたという時点で、
神が祝福として性を創造された。

この理解が大事です。


そして、性が罪によって歪められてしまったため
性が汚らわしく感じられてしまうという罪の理解。

罪の影響を抜きに性に価値判断してしまってもいけないわけです。


また、セックスがどのような力があるのか、
無理解であることも有害です。

聖書は、セックスは
自分のすべてを捧げる相手としかしてはならない、
という立場をとっています。

感情的・人格的・社会的・経済的・法的、
すべての面において、二人の者が一人の人格として結ばれる相手、
結婚相手としてしか、性的関係は認めないのです。

それは
セックスが、結婚相手に対して、
自分のすべてを捧げるという
愛する意志の確認として定められているためです。

自分のすべてを懸けて捧げる意志もない相手と、
肉体だけ 交わろうとするのは、
霊的な視点が欠落しています。

人は、単なる物質や動物ではありません。
食欲と同じように性を扱ってはいけないわけです。

人格的な結合を促してしまう作用があるのがセックスであり、
自分のすべてを捧げる愛する意志の確認手段でもある、と理解すれば、
結婚関係においてしかセックスが認められないのは当然といえば当然。

自分のすべてを結び合わせる作用があるセックスを、
結婚関係以外で持とうとするから、
様々な面で歪みが生じるわけです。


なぜ結婚関係の中でしかセックスが認められないのか。
恋愛関係の延長線上の愛ある行為としてはダメなのか。

今日の学びでは、
かなり明快な回答が得られた気がします。


あなたにははっきりと聖書的理解にたった
性のガイドはいますか?

根拠をもって、
結婚外でセックスしてはいけないとアドバイスできますか?

...教会として、性を隠してしまうのではなく
きちんと正しい理解にたって語り合い、
また、相談の窓口になれるような 場をつくっていくというのは
非常に大事なテーマだと気づかされました。


残すところ、あと一回。
 『結婚の意味』も大詰めです。




2016年12月11日日曜日

『うめきのテーマ』森下 薫 先生

2016年12月11日 第2主日礼拝
礼拝説教:森下 薫 先生(人吉聖書教会 牧師)
聖書箇所:ローマ人への手紙8章22~23節
説教主題:『うめきのテーマ』
招詞:ルカの福音書10章42節
しかし、どうしての必要なことはわずかです。
いや、一つだけです 。マリヤはその良いほうを選んだのです。
彼女からそれを取り上げてはいけません。

2016年12月10日土曜日

第2主日礼拝のお知らせ

2016年12月11日 第2主日礼拝
礼拝説教:森下 薫 先生(人吉聖書教会 牧師)
聖書箇所:ローマ人への手紙8章22~23節
説教主題:『うめきのテーマ』
招詞:ルカの福音書10章42節
しかし、どうしての必要なことはわずかです。
いや、一つだけです 。マリヤはその良いほうを選んだのです。
彼女からそれを取り上げてはいけません。

教会学校
聖書のお話:『ヨセフの夢』
聖書箇所:ヨハネの福音書1章1~5節、イザヤ書7章14節、マタイの福音書1章18-23節
暗唱聖句:ヨハネの福音書1章14節

ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。
私たちはこの方の栄光を見た。
父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。

2016年12月6日火曜日

今日の青年会

毎週火曜の青年会。

今日も無事に開催できました!

いつもお祈りありがとうございます。


今日は『結婚の意味』第7章の後半。
独身と結婚、というテーマの続きです。


デートの歴史や、
教会コミュニティの価値、
結婚を考えている人への具体的なアドバイスなど、

結婚の奥義といった内容と比べて
かなり具体的で、味わい豊かでした。


特に、教会のコミュニティに属することが
いかに大切であるか、思わされます。


…というより、
自分たちが教会の一員だということと、
その役目の重さを改めて感じました。


今、この青年会は
私の家庭で開かれていますが、
この場を通して夫婦の現実を示すよう導かれいるし、
私の家庭を通して、集まる独身者が
自分の結婚生活をどうしたいか
考えを巡らす素材になっていくのだと思うのです。


かくいう私も
何かしら夫婦のモデルが心のどこかにあったわけです。

もし、信仰を土台にした夫婦モデルを
身近に持たずに結婚をすれば、
どうなっていたのか見当もつきません。



教会に属するということ。
キリストの体の一部として、
コミュニティを建て上げること。

このことを深く味わいとり、理解できれば、
その大きな価値に気づけます。

キリストの一部として、
神の一部として、私たちは生かされているのだ、と。

また、様々な実践的経験知も
教会コミュニティに豊かにあり、
生きた知恵として活躍します。

特に、結婚を学び、結婚に導かれるときに
そのコミュニティの真価が発揮されるでしょう。


健全な結婚生活へと導かれるには、
同じ時代背景を理解する一歩先を行く夫婦モデルが身近にいること。手渡しで、信仰に立った結婚観を伝えられること。

それが教会コミュニティの素晴らしいところだと改めて思います。



結婚が神によって制定され、
結婚を通して男女それぞれが、
神が設計した本来の姿につくりかえられていくこと、
お互いがそのプロセスを喜び、期待し、
助け合うように意図され、
福音の真理を実践の場で味わえると知れば、
改めて、結婚は素晴らしいなと思わされます。


信仰に立つ結婚を学ぶこの場を通して、
主に建てられた自分の家庭が用いられること。
とても幸いなことだと感じています。

今日も祝福された学びのひと時でした。








2016年12月4日日曜日

『名をイエスとつけなさい』豊世 武士 先生

2016年12月4日 第1主日礼拝
礼拝説教:豊世 武士 先生(熊本東聖書キリスト教会 牧師)
聖書箇所:ルカの福音書1章31-33節
説教主題:『名をイエスとつけなさい』
招詞:ルカの福音書1章30節
すると御使いが言った。
「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。

2016年12月3日土曜日

第1主日礼拝のお知らせ

2016年12月4日 第1主日礼拝
礼拝説教:豊世 武士 先生(熊本東聖書キリスト教会 牧師)
聖書箇所:ルカの福音書1章31-33節
説教主題:『名をイエスとつけなさい』
招詞:ルカの福音書1章30節
すると御使いが言った。
「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。

教会学校
聖書のお話:『救い主の降臨』
聖書箇所:ヨハネの福音書1章9節、ルカの福音書1章26-38節
暗唱聖句:ヨハネの福音書1章9節

すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた

2016年11月29日火曜日

今日の青年会

毎週火曜の青年会。



今日も無事に開催できました!



いつもお祈りありがとうございます。




今日は『結婚の意味』第7章の前半。

独身と結婚、というテーマです。






独身者はとえいば、
結婚について
いつも頭から離れない方もいると思います。



特に、「そういう年齢」になれば当然でしょう。



けれど、パウロがここまで結婚の奥義、
結婚の素晴らしさを語るのを学んできましたが

独身も独身で決して侮られるような生き方ではない、と言います。



また、倫理学者のスタンレー・ハワーワスは、

生き方の選択肢の一つとして独身を認めた宗教はキリスト教ではないかとも指摘しています。



今から2000年前、
子孫を残すことが人として当たり前で、

最高の価値とされていた時代、

結婚もしないのはハグレ者、キチガイだったわけですが、

それを全面的に肯定もする宗教が、キリスト教だったわけです。




今の時代は、
子どもを残すという親・家族、
地域共同体などの伝統的価値観に基づいて
結婚することは少ない時代ですし、

自分たちが幸せになるための一つの手段としてしか
結婚が位置付けられていないものですので

パウロが肯定する独身という生き方の革新性にはあまりピンとこないかもしれません。



独身という生き方も、どちらかというと、

「どうせ結婚できないから別にいいや」
という程度の消極的な捉え方でしょうから。





では、パウロの言う独身の何が革新的だったのか。

今の時代の、独身に対する後ろ向きの態度とはどう違ったのか。






…聖書の結婚観と、現代の風潮との根本的な違いは

神様との関係があるかないか、で言い切れるので、

このテーマにおいても神様との関係が改めて問われます。



独身であっても、結婚していても

どちらにしても神様にあってそのように導かれているなら、

それは祝福されいてると言えるのですが、
独身者における祝福とはなんなのか。



それは、神の家族という教会コミュニティに生かされること。

信仰によって結び合わされた兄弟姉妹と歩みを共にできること。

既婚者以上に、神様にコミットできること、ではないでしょうか。


信仰による共同体。文化、人種を超えた神の家族としての暮らし。
これが当時も今の時代も、変わりなく光を放ち続ける神の祝福のカタチだと思います。




独身であろうと、結婚していても、
もし正しい結婚観がなければ
どちらにしても歪んだ人生観を持つことになります。




神様にあって歩んでいるかどうか。


神様が目的をもって結婚を定めたことを理解しているか。




ここが非常に大事で、
結婚を偶像にしないということだと思います。








….今日は、独身でも、結婚していても、

神様にしか私たちの存在の必要を満たせないことを理会して、

主に導かれるまま歩んでいくことの大切さを、

独身というテーマを通して改めて味わいました。






2016年11月27日日曜日

『いのちの光のうちを歩む』永井 敏夫 先生

2016年11月27日 第4主日礼拝
礼拝説教:永井 敏夫 先生(クラッシュジャパン 代表理事)
聖書箇所:マタイの福音書8章1-17節
説教主題:『いのちの光のうちを歩む』
招詞:詩篇56編3節
あなたは、私のいのちを死から、
まことに私の足を、つまずきから、救い出してくださいました。
それは、私が、いのちの光のうちに、神の御前を歩むためでした。

2016年11月26日土曜日

第4主日礼拝のお知らせ

2016年11月27日 第4主日礼拝
礼拝説教:永井 敏夫 先生(クラッシュジャパン 代表理事)
聖書箇所:マタイの福音書8章1-17節
説教主題:『いのちの光のうちを歩む』
招詞:詩篇56編3節
あなたは、私のいのちを死から、
まことに私の足を、つまずきから、救い出してくださいました。
それは、私が、いのちの光のうちに、神の御前を歩むためでした。

教会学校
聖書のお話:『救い主の道備え』
聖書箇所:ヨハネの福音書1章6-8節、ルカの福音書1章5-25節
暗唱聖句:ヨハネの福音書1章8節
彼は光ではなかった。
ただ光についてあかしするために来たのである。

2016年11月22日火曜日

今日の青年会

毎週火曜の青年会。

今日も無事に開催できました!

いつもお祈りありがとうございます。


今日は『結婚の意味』第6章の後半。
互いを喜び合う、というテーマの続きです。

先週から引き続き、
聖書が語るジェンダーロールについて耳を傾けていますが、
何度読んでも、現代社会においては
かなり鋭く過激ともとれる表現に感じます。

男性は家庭の「かしら」で、
女性は「従順」であるように。

そのように言われたら、
誰もあまりいい気持ちしないように思うのです。
今の風潮の中では。

けれども聖書は、
男女に明確な役割をもたせた神の存在を示し、
神こそが人間を男女に分けて創造し、
結婚を制定したと教えます。

人間が、私たちが、
本来の姿に生かされて
本当の意味で神に祝福された人生を味わいたいなら
やはり神のデザインに沿った歩みをすべきだ、と。

また、新たに気づかされるのは、
一見堅苦しそうに感じる男女の明確な役割の違いは
実のところ、それがあるおかげで
家庭に調和と平安をもたらすものなのだということ。

すべきこと、すべきでないことは
聖書はさほど具体的には書いていませんが、
どんな時代にも通用するような
ガイドラインを示してくれています。

特に選択肢の多すぎる今の時代、
私たちは「答え」を安易に欲しがってしまうものですが、
聖書に耳を傾け、祈りにおいて確信が得られように、
主体的に選びとれるように、助言を与えているのだと思います。


.・・・男女の違いは、
時に衝突の原因になり、
それぞれの優劣を主張し合って争うもとになりますが、
神の目から見た本来の姿は、
違うからこそ補い合うものであり、
喜び合うものです。

衝突している間は、
なかなか喜び愛し合うことは難しいものですが、
だからこそキリストが示した愛が必要だとわかるのです。

神に背いた罪人である私たちという完全な異質な他者を、
キリストは違うからといって捨てたりはしませんでした。

それどころか喜び、
愛し尽くすために自らを進んで捧げ、
十字架にかかられたのです。

このキリストの愛こそが、
私たちがパートナーとすれ違う時に必要なものですし、
家庭に仕え導く者、助け手として支える者に
必要不可欠です。



…..今日も
既婚者にも未婚者にもがっつり味わい深い内容でした。

それぞれの持ち場に戻っても、
得られた学びが活かされるよう
引き続きお祈り頂ければ幸いです。






2016年11月20日日曜日

『明らかにされるイエス様の権威』横山 秀喜 先生

2016年11月20日 第3主日礼拝
礼拝説教:横山 秀喜 先生(多良木聖書教会 牧師)
聖書箇所:マタイの福音書8章1-17節
説教主題:『明らかにされるイエス様の権威』
招詞:マタイの福音書8章2~3節
イエスが山から降りて来られると、多くの群衆がイエスに従った。
するとツァラアトに冒された人がみもと来て、ひれ伏して言った。
「主よ。お心一つで、私をきよくしていただけます。」
イエスは手を伸ばして、彼にさわり、
「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。
すると、すぐに彼のツァラアトはきよめられた。
 

2016年11月19日土曜日

第3主日礼拝のお知らせ

2016年11月20日 第3主日礼拝
礼拝説教:横山 秀喜 先生(多良木聖書教会 牧師)
聖書箇所:マタイの福音書8章1-17節
説教主題:『明らかにされるイエス様の権威』
招詞:マタイの福音書8章2~3節
イエスが山から降りて来られると、多くの群衆がイエスに従った。
するとツァラアトに冒された人がみもと来て、ひれ伏して言った。
「主よ。お心一つで、私をきよくしていただけます。」
イエスは手を伸ばして、彼にさわり、
「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。
すると、すぐに彼のツァラアトはきよめられた。

教会学校
聖書のお話:『王様になったダビデ』
聖書箇所:1サムエル31:1~7, 2サムエル5~7章
暗唱聖句:2サムエル7章28節
今、神、主よ。あなたこそ神であられます。
あなたのおことばはまことです。
あなたは、このしもべに、この良いことを約束してくださいました。

2016年11月15日火曜日

今日の青年会

毎週火曜の青年会。

今日も無事に開催できました!

いつもお祈りありがとうございます。


今日は『結婚の意味』の第6章前半。

「互いに喜び合う」というテーマでした。


特に、男女の性差・ジェンダーロールに
焦点を当てて詳述されている章で、
いつもより抽象度が高かったようでした。


パウロが使用する「かしら」「従順」といった言葉は、
現代社会の風潮からはやや激烈で、
論争を起こしやすいような雰囲気があります。

男女平等であるのが、
社会的には当然のこととされているのに、
結婚において、
聖書的な結婚生活において、
どちらが「かしら」で、
どちらが「従順」というのが
明確に主張されてしまうと、
大抵の場合、すんなり納得できないのではないでしょうか。


男女の性差は、
明確な神のデザインがあって存在しているというだけで、
そこには優劣がありません。

男性からみて女性は劣るわけでもなく、
女性からみて男性が劣るわけでもありません。

夫婦間で優劣を争うために、
男女は異なるわけではないのです。

神は、三位一体であられ、
一つでありながらそれぞれが違う位格をもつ存在。
この神の似姿につくられた私たちは、
特に男女間において、
異なる者と一致・調和するように導かれています。

自分と違うからこそ、
その違いを喜べるわけですし、
違うからこそ、自分以上の広がりをもてるわけです。



また、「従順」さというのは、
決して嫌々従う後ろ向きな姿勢なのではなく、
キリストが十字架にまで従われたような、
自ら進んでささげる意志ある姿勢です。

その、キリストの姿と重ね合わせて、
パウロは「従順」であるようにと示すのです。

能力や立場の優劣によって「従順」が命じられているのでなく、
愛ある自由さから勧められているわけです。

また、「かしら」という言葉も、
夫婦間においては、かじ取りをする役割をもつ者に
あてられているだけで、ここに優劣の観点はありません。

男女の性差も、
夫婦間の役割分担も、
結局のところ、秩序をもって
家庭が一つとなるためにあるのであって、
私たちを不自由で窮屈にするためにあるのではありません。

男女の違いはむしろ祝福への通り道だというわけです。


男女それぞれの違い、それぞれの役割に理解を示し、
一致して歩んでいくことの大切さを改めて思わされました。





2016年11月13日日曜日

『イエス様の招き』西村 のぶえ 先生

2016年11月13日 第2主日礼拝
礼拝説教:西村 のぶえ 先生(カンボジア宣教師)
聖書箇所:マタイの福音書11章28~30節
説教主題:『イエス様の招き』
招詞:マタイの福音書11章28節
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、
わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。

2016年11月12日土曜日

第2主日礼拝のお知らせ

2016年11月13日 第2主日礼拝
礼拝説教:西村 のぶえ 先生(カンボジア宣教師)
聖書箇所:マタイの福音書11章28~30節
説教主題:『イエス様の招き』
招詞:マタイの福音書11章28節
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、
わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。

教会学校
聖書のお話:『サウルの命を助けたダビデ』
聖書箇所:1サムエル記24章、26章
暗唱聖句:ローマ人への手紙12章2節
神のみこころは何か、すなわち、
何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかを
わきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい

2016年11月8日火曜日

今日の青年会

今日も青年会が無事に開かれ、
聖書に基づく学びができました。
いつもお祈りくださり感謝いたします。


『結婚の意味』の第5章、
「他人」を愛するということ
をテーマに読み進めました。

今更ですが、この本のサブタイトルが
「わかり合えない二人のために」
というのに気がつきました。

そして今回はそのタイトルに応答するような内容で、
結婚が福音の力を必要とし、
福音が結婚を反映しているということが
よくわかるものでした。


誰しも、愛の感じ方には色々あり、
自分の感じ方が必ずしも相手と同じであることはない、
という視点が欠落しがちなのが私たち。
つい、「愛されていない」と相手に要求するばかりで、
既に示されているはずの愛に気づけないこともしばしば。

ただ、愛の言語が違っただけ、ということはよくあります。

一方的に、相手に愛を求めること。
それは逆に愛ある姿勢なのかと問われます。

自分の尺度を疑いなしに相手に要求する姿勢は、
やはり愛ではなく、利己的なわがままだと思うのです。

 「他人」を愛するには、
相手がどのように愛を感じるのかを知る地道な観察、実践が
非常に大事だと学ばされます。

また、結婚において
それぞれの罪ある姿、欠点にまみれた姿が露わにされる「真理の力」 と、
お互いの傷を癒し合う「愛の力」とが必要とされますが、
私たちは「真理」も「愛」も、
歪んだかたちで用いてしまいます。

 真理は確かに曖昧にして覆い隠すことの出来ないものですが、
愛がなければ 、人を傷つけるだけの鋭利な刃物でしょう。
正しければ何を言ってもいい、攻めも指摘も肯定されるわけではありません。

もし、愛がなければ
真理の力は 結婚を破壊するだけのものになってしまいます。

また、一方で
真理の力を軽んじ、物事の本質を見極めず、
相手の罪や欠点などをうやむやにして
静かに見つめることなく容認するだけの愛だとしたら、
表面的な関係にしかならず
霊的な成長にはまったくつながりません。

結婚生活において、真理の力と、愛の力、
これは対立しがちなものでもあるため、
どうしても私たちは実践の現場で「同時に」用いることができません。

愛のない真理。
真理のない愛。

これが私たちの現実ではないでしょうか。


そんな私たちに、聖書は
恵みの力が必要不可欠だと示します。

恵みとは、キリストが私たちの罪のために死なれたという、
神の深い愛のことですが、
この愛に立ち返って初めて
真理と愛が両立する、というわけです。


愛すべき伴侶という関係だからこそ、
お互いの罪性によって傷つけ合ってしまいますが、
ここに赦しが なければ関係を保てません。

そして、その赦しの源泉は、
私たちと神様との関係にしかありません。

キリストの犠牲は自分の罪のためにこそ払われ、
こんな自分であっても赦されているんだということ。
この解放の喜びと愛されているという実感が、
伴侶との溝を埋める唯一の力なのです。

 恋に落ちた二人は、いずれ
現実に戻り、それぞれの生活に歩みを進めます。
そんな時、現実的にどのように愛していくのか、
愛をどのように示し、
相手をどのように赦し、赦されていくのか。

神の恵み以外に、頼るものは見当たりません。


....既婚者には深くうなづけることや、
気づかされ反省させられることが毎回多く、
未婚者には結婚生活への備えになっている実感があります。

それぞれの現場に持ち帰るものとして、
毎回学べていること、
神様が制定された結婚について学べていること、
とてもありがたいことだなと感じています。


これからも学びが祝福されるようにお祈りください。







2016年11月6日日曜日

『平和をつくる者は幸いです』豊世 武士 先生

2016年11月6日 第1主日礼拝
礼拝説教:豊世 武士 先生(熊本東聖書キリスト教会 牧師)
聖書箇所:マタイの福音書5章1~10節
説教主題:『平和をつくる者は幸いです』
招詞:マタイの福音書5章9節
平和をつくる者は幸いです。
その人たちは神の子どもと呼ばれるから。

2016年11月5日土曜日

第1主日礼拝のお知らせ

2016年11月6日 第1主日礼拝
礼拝説教:豊世 武士 先生(熊本東聖書キリスト教会 牧師)
聖書箇所:マタイの福音書5章1~10節
説教主題:『平和をつくる者は幸いです』
招詞:マタイの福音書5章9節
平和をつくる者は幸いです。
その人たちは神の子どもと呼ばれるから。

教会学校
聖書のお話:『ダビデの逃亡』
聖書箇所:1サムエル記18章~20章
暗唱聖句:箴言16章9節
人は心に自分の道を思い巡らす。
しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。

2016年11月1日火曜日

今日の青年会

今日も毎週火曜の青年会が開かれました。

奈良からも、ビデオ通話で
ここのところ欠かさず参加してくれて
とても嬉しいです。

お互いの近況を交えながら、
結婚というテーマを深く味わっていけるのは
とても恵まれている、と思います。


今日は、ティモシー・ケラー著『結婚の意味』の
第5章の前半。

結婚の本質は霊的な友情にある、
という話の続きではあるのですが、
そのわけがよくわかるような内容でした。

どんなカップルも2-3年すれば
自然と相手の欠点や、あらが見えてくるもので、
次第次第に恋の熱も冷めてくるもの。

そうして初めてスタート地点に立てるようなものですが、
お互いの見せたくない姿が露わになるのも、結婚の力。
いわば、「真理の力」を結婚はもっており、
親にも友人にも、誰にも見せたくない姿を明らかにしてしまいます。

言ってみれば、神様からみた
私たちの罪ある姿ということなのですが、
この真の姿が露わになったとき、
神様によって造り変えられていくという約束を
共通の土台としているかどうかは、
世の結婚とは天と地の差があるわけです。

お互い、神様にきよめられ、
キリストに似た者になっていく前提であれば、
今現在の、欠点や弱さだらけの自分たちが
本来の姿ではないんだと受け止められますし、希望があります。

そして、愛する伴侶が真の姿に変えられていく旅路に
自分も関わっていけること、
一番近くで見つめられることこそが、
結婚の喜びでもあり、二人の結び目になるとは
なんとも素晴らしい関係です。


・・・

欠点ばかりが目についてしまう、
自分とは異質の「他人」を愛するのは簡単ではありませんが、
キリストの福音にあって、将来の素晴らしい姿、
キリストに似た姿に変えられるという約束があってこそ、
真理と愛と恵みとによって
泥沼の結婚生活がすばらしい祝福に変えられるのだと思います。


自分とまったく性質の異なる「他人」を、
あなたならどのように愛しますか?
あなたにとって「愛する」とはどんな実践ですか?

… そんなことを問われた学びでした。


結婚している者は、ますます結婚の祝福が味わえるように。
結婚に向かっている者は、お互いの霊的な成長を喜び合える相手と出会い、
それとわかるように。

どうぞお祈りください。


2016年10月30日日曜日

『枯れた無花果の木』渡邊 英治 先生

2016年10月30日 第5主日礼拝
礼拝説教:渡邊 英治 先生(久留米聖書教会 牧師)
聖書箇所:マルコの福音書11章12~25節
説教主題:『枯れた無花果の木』
招詞:マルコの福音書11章22節
イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。」

2016年10月29日土曜日

第5主日礼拝のお知らせ

2016年10月30日 第5主日礼拝
礼拝説教:渡邊 英治 先生(久留米聖書教会 牧師)
聖書箇所:マルコの福音書11章12~25節
説教主題:『枯れた無花果の木』
招詞:マルコの福音書11章22節
イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。」

教会学校
聖書のお話:『ダビデとゴリヤテ』
聖書箇所:1サムエル記17章1~54節
暗唱聖句:詩篇56篇11節
私は、神に信頼しています。
それゆえ、恐れません。人が、私に何をなしえましょう。

2016年10月25日火曜日

今日の青年会

毎週火曜の夜、
今週も変わらず青年会が守られました。

先週に引き続き、
今日は『結婚の意味』の第4章「結婚の使命」後半。

結婚の本質とは、霊的な友情である、というところです。

さらっと「結婚=友情」と定義されているわけですが、
簡単に飲み込めますか?

結婚は、友情だ、と。

 ..というより、そもそも友情ってなんだ?
 と逆に疑問がふつふつと出てますますピントが合わなくなるのではないでしょうか。

少し、深掘りします。

・・・

あくまでも聖書に忠実に、
結婚というものを見つめれば、
まぎれもなく霊的な友情にたどり着くというのが、ティモシー・ケラー氏の立場。

友情の本質が、同じ何かに憧れ、
同じ目的地に向かおうとする共通の意志であるとするなら、
結婚においては一体何が、二人の目指すところなのか・・・。


聖書には、キリストにあって生まれ変わった者は
キリストに似た姿に変えられていくという明確なゴールが示されています。
しみも、しわも、傷もない聖い姿に変えられていく...と。

これが、福音の中心的な約束であり、
クリスチャンに与えられている明確な目的地なのですが、
この共通の憧れにおいて、霊的な友情が成立する、というわけなのです。

霊的な意味での友情こそが、
聖書が示す神ご自身が制定された結婚だというのは、
お互いが、神がお造りになった完璧な姿、
しみもしわも傷もない、最高に素晴らしい姿に
キリストを通して変えられていくことことを共通の目標とする、ということ。

私たちは、「古い人」も
「新しい人」も同時に身につけながら暮らしています。
素晴らしい個性を光らせていることもあれば、
目も当てられないような醜さを晒すこともあります。

けれども私たちは
本来輝いているはずの真の姿に変えられるようにと導かれています。
そして福音によって変えられていくことそれ自体を喜べる相手こそ、霊的な友です。

 ...この、霊的な友情をこそ
結婚の土台に据えない限りは、
結局のところ長くはもたないというわけです。

霊的な友情を、夫婦関係の結び目とする...。
非常に革新的で衝撃的な内容だと、思います。

結婚というのは、
私たち一人一人が神さまによって作り変えていかれるプロセスにおいて、
互いに助け合うために、神ご自身によって定められたものです。

だから聖書において結婚は、
いっときの恋愛感情の延長や、
経済的・社会的に都合が良いからとか、
人生設計において有利だからという理由でするものではないのです。

ともに、神さまに造りかえられていく真の姿に喜びを見出せる、
霊的な友情をもっている、というのが大事なんですね。



......というような
なかなか味わい深い内容でしたが、
そうかー、なるほどなぁ、とうなづくことばかりでした。

結婚している者はますますその深さを味わい、
結婚に向けて歩んでいる者は、
どういう視点で相手と出会っていくか、
色々と考えさせられました。




 








2016年10月24日月曜日

屋根の修理が完了しました。

いつも当教会についてお祈りくださり心より感謝いたします。

およそ半年前の大地震で大きな被害を受けた当教会の屋根の修理が、
先日ついに完了いたしました。

これまでブルーシートで雨漏りを防いでいた中、
台風に3度も見舞われる可能性がありましたが、
すべて問題なくやり過ごすことができました。
当教会への絶えない祈りとご支援、心より感謝致します。

今後も屋根以外の内装など手入れしていく計画ですので、順次ご報告していきます。
どうぞよろしくお願い致します。


2016年10月23日日曜日

『心のきよい者は幸いです』豊世 武士 先生

2016年10月23日 第4主日礼拝
礼拝説教:豊世 武士 先生(熊本東聖書キリスト教会 牧師)
聖書箇所:マタイの福音書5章1~10節
説教主題:『心のきよい者は幸いです』
招詞:マタイの福音書5章8節
 心のきよい者は幸いです。
その人たちは神を見るから。

2016年10月22日土曜日

第4主日礼拝のお知らせ

2016年10月23日 第4主日礼拝
礼拝説教:豊世 武士 先生(熊本東聖書キリスト教会 牧師)
聖書箇所:マタイの福音書5章1~10節
説教主題:『心のきよい者は幸いです』
招詞:マタイの福音書5章8節
 心のきよい者は幸いです。
 その人たちは神を見るから。

教会学校
聖書のお話:『選ばれたダビデ』
聖書箇所:1サムエル記16章
暗唱聖句:1サムエル記16章7節
人はうわべを見るが、主は心を見る。


2016年10月19日水曜日

今日の青年会

2016年10月18日(火)

毎週火曜日の聖研、今日も守られたことに感謝いたします。

ティモシー・ケラー、キャシー・ケラー共著の『結婚の意味』をもとに
結婚について学び分かち合いのひと時を持つことができました。


本日のテーマは「結婚の使命(前半)」でした。

...いきなりですが、
結婚はなんのためにをするのですか?

 結婚のそもそもの目的、
神が定めた結婚の使命というものを今日は学びました。

・・・・・・・・
聖書では、結婚の目的の答えを、
「友情である」という原則から始めています。

そもそも友情とはなんでしょう・・・?

結婚は恋愛や愛情、友情と違うでしょう、
と普通ならそう思いますよね。
 どういうことでしょうか。
 
創世記で神さまはすべての創造物を「良し」とされました。
ただ一点、アダムが一人ぼっちでいること以外は。
 「人が、ひとりでいるのは良くない。
わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」創世記2章18節

ここでいう「助け手」とは、
原語で「エゼル(助け手なる友、友人を意味する言葉)」と言うそうです。
 助け手となる友。それが伴侶であると書かれています。

では、世間的に見る「友情」とこの聖書が語る「友情」はどのような違いがあるのでしょうか。
 ケラー氏は聖書から友情の特徴を三つに分けて教えてくれています。

友情の特徴①「継続性」
「友はどんなときにも愛するものだ。兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。」 箴言17章17節
真の友は必要ならいつでも助ける余裕がある、苦しい時であっても継続するものです。

友情の特徴②「裏表の無さ、率直さ」
「香油と香料は心を喜ばせ、友の慰めはたましいを力づける」箴言27章9節
本当の友は、互いに励まし合い、愛情深く認め合うことができますが、
「憎むものが口づけしてもてなすよりは、愛する者が傷つけるほうが真実である」箴言27章6節
「鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる」箴言27章17節
とあるように、互いに身が引き締まるような批判も厭いません。
価値観の違うをぶつけ合い、一緒に成長することができるのです。

友情の特徴③「共感」
「君もなのか!」という驚きが、友情の本質だと
C.S.ルイスは言っています。
共通点を見つけると、一気に親近感がわきますよね。
共通の趣味があると友情は芽生えやすいものです。
誰とも共有できないと思っていた情熱を、他の誰かと分かち合えた時の驚きと喜び。
ここに友情の核心があるわけです。

 特に、クリスチャン同士のであれば、
「神の似姿に変えられる」という約束、信仰を共有できます。
聖書の約束に強く魅かれるほどに、
同じ情熱を持つ人との出会いに喜べるわけです。

この、神の愛による結びつきという友情の、
模範となる方が私たちの最愛の友となってくださっています。
そう、イエスさまです。

イエスさまは私たちの友となってくださいました。
同時に、自己犠牲を厭わない愛を示してくださいました。

イエスさまは神であり、霊的な意味において夫でもあり、
また、神であり友であると、パウロが解き明かしています。

夫と妻は、イエスさまと私たちがそうであるように、
恋人でもあり、友でもあるという、
どのような人間関係にも増して深く、強い関係性を持っています。

燃えるようなロマンス、恋愛感情も素敵です。
地位や容姿、共通の趣味があることも、魅力的です。
しかし、それらは永遠普遍のものでなく
一瞬のうちに消え去るものがほとんどです。

肉体も、感情も、境遇も、すべてうつろいゆくものです。
そういったものを夫婦のつながりとして選ぶなら、
結婚はなんとも儚く脆いもの。

けれども、互いに「神さまと友に歩む人生」という共通のゴールがあれば、
単なる恋愛感情の延長線以上の関係となり、
霊的な意味においての友情としても結び合わされます。
そして夫婦は、状況に左右されにくく強い絆を得て、
結婚はとても祝福されたものになっていく。

そう学ばされた夜でした。

みなさんは、何のために結婚しますか?
結婚に、何を求めますか?